• 2020/05/26

エリザベス女王の海賊投資

エリザベス女王

16世紀、イギリスとスペインの関係はそう良好ではなかった。これといった国家収入のないイギリスに対してスペインは、インドの香辛料貿易、新大陸の奴隷貿易、南米の銀など、力強い経済活動の基盤を確立していた。現代人の感覚だと「イギリスも香辛料貿易を始めれば良いのでは?」と思うかもしれないが、当時スペインは貿易を独占する事でその利潤を独り占めする方針を採っており、貿易線上にある港という港は軍事力によって抑えられていた。イギリスが香辛料貿易を始めるには、スペインの拠点を襲わない事には始められないのだが、もし戦争となれば万に一つもイギリスに勝ち目はない。当時、両国の間にはそれほどに国力の差があった。

この状況の中、イギリスを治めていたエリザベス女王には秘密の投資事業があった。海賊事業である。

スペインの船を襲って拿捕すれば、単純にスペインの船は減りイギリスの船は増える。それだけでも国力の差は埋まり、更に積み荷の金銀財宝はそのまま国家の臨時収入になる。積み荷が香辛料であれば、元手はタダだ。売りさばいて得られる利益は莫大である。投資リターンのアップサイドは議論の余地がないほどに魅力的だが、リスクの方はどうだろうか?海賊船でスペインの商船を襲うのは、戦争を始めて勝つよりもはるかに成功する確率が高い。もちろんスペインの返り討ちに遭い海賊船が全滅すれば、投資はパーになる。しかしスペイン側に一つの損害も与えずにイギリスの海賊が全滅する事はない。少しでも相手側に損害を与えられるなら、これは決して投資の「全損」ではない。つまり、たとえ海賊が全滅しても、女王にとっては「スペインにダメージを与える」という最低限の「リターン」が見込めるのだ。実はこの投資の最大のリスクは別のところにある。それはエリザベス女王の出資が公になる事だ。もしスペイン側にこの秘密が知られれば、これを理由に開戦になるかもしれない。そうなればその後の経費もリスクも無限になる。だからこの事業は絶対に知られてはならない、トップシークレットの事業投資なのである。それさえ担保できるのであればこの投資は絶対に「やり!」なのだ。

そうはいっても投資。お金を出す以上、やはり成功させたい…成功の確率をあげたい。その為には、腕の良い海賊が必要だ。これがまた簡単ではない。もしかしたら海賊はそのままカリブに隠れて、お金を持ち逃げされてしまうかもしれない。信頼でき、絶対に秘密を守り、そして腕の良い海賊が必要となる。

海賊ヒーローの登場

1577年、イギリス プリマス港をフランシス・ドレーク (Francis Drake) 率いる5隻の船が164人の船員と共に出港した。この航海の事業草案 (Draft Project) が奇跡的に現存しており、ドレーク自身が1000ポンドの出資をしていた事が確認できる。船長自らマイナー出資することは、大口出資者から信頼を得る一つの条件だ。ちなみに他の出資者にエリザベス女王本人の名前は見えないが、「なぜか」女王秘書官のフランシス・ウォルシンガム (Francis Walsingham) の名前が見える。話は戻って、このフランシス・ドレイク、以前多くの仲間をスペイン海軍に殺された過去があり、スペインに恨みを持っている。その点でエリザベス女王と無形のリターンまで一致している。今回の出港以前に海賊として十分な実績も挙げている。女王にとってさぞかし信頼できる船長だっただろう。

フランシス・ドレーク
フランシス・ドレーク (Francis Drake)

草案によると、この5隻(のちに拿捕船を加えて6隻)は、マゼラン海峡を通過してアメリカ大陸西海岸を「探査」して戻ってくる計画だった。しかし、フランシス・ドレイクはアメリカ西海岸に行った後、来た道を戻らずに、そのまま太平洋を渡る決断をした。フィリピン、インドネシア、喜望峰と経由し航行すること3年、1580年に1隻と58人の船員になってプリマス港に戻ってきた。これは結果的に歴史上2例目の世界一周航海となったが、マゼランは航海の途中で死亡しているので、単独船長による航海という意味においては世界初の世界一周航海だ。この航海でフランシス・ドレイクは、スペイン商船を襲っただけでなく、スペインが押さえていない方面からアジアに侵入する事により大量の香辛料を買い付けることにも成功した。この3年近い投資事業がスペインに物理的・精神的大打撃を与えた以上に、エリザベス女王は1ポンドの出資が47ポンドになって戻ってきたことに喜んだだろう。女王が手にした分配金は、なんと当時の国家の歳入よりも多かったのだ。そしてこれにより、王室の抱えていた莫大な借金を全て返済する事ができたのだった。

フランシス・ドレークの世界一周航路 (動画)

この功績により海賊から「騎士(Sir)」の位を女王から受けるまでに成り上がり、懸賞首ドラゴン(Draco)としてスペインからは忌み嫌われつづけた男、フランシス・ドレイクと、度重なる海賊事業により急速に国力をつけたエリザベス女王のタッグはこの8年後、アルマダ海戦にて正面からスペインを打ち破る事になる。