• 2020/05/12

繰り返すクライシス(後編)

リーマンショック(2008年9月)

2003年頃から2008年にかけて、海運は狂想曲さながらの熱気に満ちていた。中国が世界の工場として本格的に存在感を持ち始め、日本を含む多くの製造業が中国に進出、その労働力として内陸部から沿岸部に民族大移動が起こっていた。BRICSという言葉も誕生し、新興国に大きな資本が流入した結果、不動産、資源、全ての価格が右肩上がりに上がった。

海運業界でも運賃の上昇は凄まじく、船主からの運賃提示を1日でも保留・検討しようものなら、翌日にはもう同じ運賃で交渉するのが不可能なほどに運賃は急騰した。世界人口の45%を占めるBRICSという新しい市場が、無に近い状況から誕生する訳だから、多くの海運関係者はこの好景気を一過性のものではないと判断した。この波に乗り遅れるな、とばかりに造船所には新造船の問い合わせが急増する。当時、日本と韓国の2カ国でほぼ全ての商船が建造されていたが、どの造船所も契約ラッシュで船台は4〜5年先まで埋まった。新造船価も当然うなぎのぼりで、造船所はまさに黄金期を迎えた。日本と韓国の造船所だけでは足りなくなった船主は中国の造船所に目をつけた。当時、中国の造船はまだ建造実績がなく、品質の面でも契約履行の面でも大きな問題があった。特に引渡し期日に船が完成することはまず無かったが、どの船主も好景気の中で気にしなかった。そして中国のすごいところは、需要があればそれに答えてしまうところだ。このころ浜辺に掘っ建て小屋のような新しい造船所が雨後の筍のごとく現れ、業界ではこれらを軽蔑も込めて”Beach Yard”と呼んだ。一方、金融機関も異常な状況だった。完全な借り手市場なので、仕事をとるため金融機関どうしで金利を叩き合い、融資額を上げ合い、途方もないハイレバレッジで低金利の資金が新造ブームに拍車をかけた。さらにドイツでは、弁護士や医者が小口投資する船舶投資組合”KGシステム”が最盛期を迎え世界のコンテナ船はほとんどドイツ船主またはKGが投資していた。シンガポールでも海運誘致の一環で船舶リート(Shipping Trust)が新たに始まり船舶投資は加熱していた。

そんな中、2008年9月にリーマン・ブラザーズが倒産する。倒産のきっかけともなったサブプライムローンは、作った当人しか本当のリスクが分からないような商品で、金融機関はそんな商品を大量に抱えていた。リーマン・ブラザーズをも一発で倒産に追い込む潜在リスクは、金融機関や投資家の疑心暗鬼を呼び、巨大な信用収縮が市場を席巻、そして資金の流動性は完全に蒸発した。さらにこの問題は石炭や鉄鉱石といった資源市場に飛び火した。金融が高度に発達し、資源は実需の上だけでなく、金融の上でも成り立っていたからだ。

海運もリーマン・ブラザーズの倒産から運賃が大暴落した。最も顕著だったのがケープサイズバルカーで、1日あたりUS$230,000(約2500万円!)もらえた傭船料が、半年も経たずUS$2,700 (約30万円!)になった。まさに100分の1、この運賃では船員費すらも払えない水準だ。海運とは全く関係のなさそうな投資会社の倒産が、なぜ運賃大暴落につながるのか理解に苦しんだ。好景気の原動力であるBRICSの市場規模は巨大で、それから考えると問題になっているサブプライム=アメリカの不動産市場の規模は小さく、この一時の混乱さえ収束すれば、また元の水準にもどるだろう。そういった希望から「来年にはマーケットは回復するだろう」という海事新聞の記事をよく目にしたが、期待とは裏腹に景気はなかなか回復しなかった。

大量に発注された新造船はどうなったか?紆余曲折はあったが、最終的に引き取ったのが本来の発注者かどうかは別として、リーマンショック前に発注された船はそのほとんどが建造された。大規模の財政出動により中国の造船所はまさに人工的に操業を続けていたし、韓国も国主導のファンドが造船業に援助的資金を注ぎ込んだ。需要なき市場にどんどん新しい船が増え、景気は一向に戻らなかった。まさに海運はリーマンショック以来「失われた10年」となる。

日本はどうだったか?長期傭船をビジネスモデルの柱としている日本船主はリーマンショックの影響をすぐには受けなかった。日本の金融機関もサブプライムローンにはほとんど手を出しておらず、直接的な被害は限定的だった。ただ問題はまるで地震のあとの津波のように遅れてやってくる。海運の回復が遅れ傭船契約を履行できない船会社が出始めた時期が、為替70円台という円高の時期に重なった。日本船主はこれまでにない苦境に立たされるが、それでも諸外国に比べて破綻が少なく済んだのは、地銀の支えがあったことと無関係ではないだろう。

新型コロナウィルス(2020年1月〜)

さて、リーマンショックから12年、新型コロナウィルスの蔓延で世界経済は大変なことになっている。海運はリーマンショック以来、運賃も低いまま新造船の発注残も少ない状態で今回の問題を迎えた。今の所、まだ「コロナ不況」程度のインパクトで収まっている。山が高ければ谷も深いが、谷の底を歩いていた海運にとって、さらなる谷は限定的という訳だ。もちろん各国のロックダウンにより実需は低下し「本来であればマーケットが回復していたのにコロナのせいで遅れている」のかもしれないが、それでも決して悲観するような状況ではないと思う。いくつかの会社の破綻や傭船料の減額要請のニュースを目にすることもあるが、コロナ以前から問題があった会社が経営のまずさをこれ幸いにとコロナを言い訳にしているように見える。

ただ今回の新型コロナウィルスは、幅広い業種に壊滅的な影響をあたえている。コロナをキッカケにした大型倒産や、政府の方針転換が、リーマンショック時のような信用収縮やプラザ合意後の急激な円高のようなトリガーとなり、「コロナ不況」が一気に「コロナクライシス」に発展することは十分ありえるだろう。